提案の場の空気は、決して悪くありませんでした。担当者は何度もうなずいてくれたし、「ぜひ進めたいですね」とまで言ってくれた。ところが数週間経っても連絡がなく、こちらから確認すると「まだ社内で検討しておりまして」。そのまま半年が過ぎ、気づけば案件そのものが消えている——。
システム受託開発会社の社長やエンジニアの方から失注の相談を受けるとき、理由として一番多いのは「他社に負けた」ではありません。「担当者は乗り気だったのに、社内で止まった」です。
これを「相手の会社の事情だから仕方ない」で片付けてしまうと、次も同じところで止まります。稟議で止まるのには、提案する側にはっきりした原因があります。しかもそれは、提案書の完成度とはほとんど関係のないところにあります。
担当者が前向きでも稟議が通らない、たった一つの理由
提案書の読み手を、目の前の担当者だと思って書いていないでしょうか。
実際に提案を評価して決めるのは、その場にいなかった決裁者です。そして本当の問題はここからで、その決裁者に説明するのは、あなたではなく顧客の担当者だという点です。しかもその担当者は、あなたほど提案内容に詳しくありません。専門用語の意味も正確には分かっていません。あなたが1時間かけて話した内容を、役員会の10分で、自分の言葉で話さなければならない。
つまり提案書の役割は、こちらの提案が優れていることを証明することではありません。顧客の担当者を「社内で説明できる人」に変えることです。この一点が抜けている提案書は、どれだけ論理が通っていても、どれだけ美しくても、担当者の手元で止まります。
先日、ある会社への方針報告の場で、私はこう聞きました。「この資料をもとに、御社側からご説明いただく前提でお作りします。上から下まで、これで話せそうですか」。返ってきたのは、「流れは分かっているので、大枠を紙で1枚にまとめてもらえたら」という言葉でした。私が丁寧に作り込んだつもりの資料は、その方が社内で話すには重すぎたのです。聞かなければ、そのまま渡して終わっていました。
提案書のレビューを自社内だけで完結させても、確認できるのは半分です。最後のレビュアーは、社内で説明する当の顧客担当者。ここから先は、その人に渡すために私が実際にやっていることを3つご紹介します。
社内稟議を通す提案書のコツ① 提案書より先に、見積もりを出す
順番の話です。多くの提案は「提案内容が固まってから、最後に見積もりを付ける」という流れで作られます。ですが、稟議で止まる案件の多くは、内容ではなく予算の枠に入っていないことで止まっています。
企業の予算は、期の始まる前に組まれます。決算月の数か月前には、来期に何にいくら使うかの検討が始まっている。そこに載っていない金額は、どれだけ提案が優れていても、その期は動かせません。担当者が「いい提案だ」と思っても、予算がなければ社内では何も言い出せないのです。
ある会社との商談で、まさにこの話になりました。先方の期首は数か月先。予算に計上するには、こちらの見積もりがどうしても必要でした。担当役員の方から出てきたのも「まず見積もりですよね」という一言です。提案の完成を待って見積もりを出していたら、丸一年先送りになっていた案件でした。
そこで私は、その場で概算のレンジを口頭でお伝えするようにしています。前置きはこうです。
「正式な見積もりはこれから作るので、まったく信用に値しない私の肌感でよろしければ、幅でお伝えできますが、いかがしましょうか」
そう断った上で、「どんなに膨らんでもこの金額は超えません。ただ、この金額では収まりません」と上下の幅で言い切ります。
これを無責任だと感じる方は多いと思います。ですが、担当者の立場で考えてみてください。金額の情報がゼロの状態で、社内で何ができるでしょうか。上司に相談することも、予算枠を仮押さえすることも、「そもそもうちの規模で検討していい話なのか」を判断することもできません。幅のある数字は、担当者が社内で動き出すための最小限の材料です。
ただし条件が2つあります。一つは、必ず「概算」と「正式見積もり」を明確に分けて伝えること。もう一つは、上限側を低く言わないことです。ここで安く見せると、正式見積もりを出した瞬間に担当者は社内で梯子を外されます。低めの数字を言って喜ばれるのはその日だけで、失うのは案件そのものです。
社内稟議を通す提案書のコツ② 決裁者に見せる「1枚」まで、こちらで作る
提案資料は、詳しければ詳しいほど良いと思われがちです。実際には、資料の詳細さと稟議の通りやすさは、ある水準を超えると逆相関になります。
私は提案の資料を、少なくとも3層で用意します。
提案資料の3層構造
- ① 詳細版:課題と対応方針を一つずつ突き合わせた、議論の全記録。読み合わせれば2時間かかる。→ 担当者との実務確認用
- ② 報告版:詳細版から要点を抜き、その場で説明できる分量に絞ったもの。→ 提案の場で使う
- ③ 上申版(1枚):決裁者が見る要約。担当者が説明する前提で書く。→ 社内稟議・役員会用
多くの会社が作っているのは①と②までです。そして③を顧客の担当者に丸投げしています。ここが分かれ目になります。③を担当者に書かせた瞬間、提案の内容は担当者の理解度まで劣化します。悪意ではなく、単純に情報量が落ちるからです。
③を作るときのポイントは、「自分が説明する資料」ではなく「相手が説明する資料」として書くことです。文体も、想定される質問も、社内で使われている呼び方も、担当者に合わせる。実際、報告版を渡すときに私は「この資料は御社が社内報告する体裁で作ったので、我々目線の書き方になっている部分はご容赦ください」と断りを入れることがあります。誰が話す資料なのかを明示しておくと、担当者はそれを自分の資料として扱ってくれます。
そして最後に、必ずこの一言を足してください。「これで、上から下まで話せそうですか」。追加してほしい情報、逆に落としてほしい情報が、その場で返ってきます。提案書の合否を決める最後の校正は、顧客の口から出てくるのです。
社内稟議を通す提案書のコツ③ 費用対効果は、こちらで計算せず顧客に語ってもらう
稟議で必ず問われるのが費用対効果です。ここで多くの提案書が、こちらで試算した削減効果を大きく載せます。「年間○○時間の削減」「人件費換算で年間○○万円」といったものです。
ところが、ベンダーが自分で計算した効果額は、決裁の場ではほぼ効きません。売る側が出した数字だからです。役員から「その前提は本当か」と一言聞かれたら、その場にいない我々には答えようがなく、担当者は黙るしかありません。
実際、ある会社の役員の方からは「そもそも我々が今どれだけ時間を取られているかが見えていないので、費用対効果は出しづらい」と、こちらが試算を出す前に言われました。効果が測れないのは、我々の計算能力の問題ではなく、顧客側にデータがないからです。そこを想像で埋めた数字は、社内では通用しません。
では、どうするか。顧客自身の口から出た数字を、顧客の言葉のまま載せるのです。
先ほどの会話には続きがあります。費用対効果は難しい、という話をしていた流れで、その役員の方が自分から語り始めました。毎年の予算に一定割合の予備費を積んでいること、それを毎年ほぼ使い切っていること、そして使い道の多くが、今回の提案で解決しようとしている類の問題であること。最後にこう言いました。「そのうちのかなりの部分は、本来なくてよかった出費だと思っています」。
これ以上に強い費用対効果の材料はありません。ベンダーの試算ではなく、その会社の役員自身の見立てだからです。私の仕事は、その言葉を引き出して、提案書に相手の言葉として載せることでした。
ここで一つ注意があります。同じ場で、その方は「ただし、本来計上すべきだった費用と、避けられたはずの無駄は区別しないといけない」とも言っています。この留保を落として、都合のいい部分だけを切り取って書くと、決裁の場で必ず突っ込まれ、担当者が答えに詰まります。顧客の言葉を借りるなら、留保ごと借りる。これは提案の誠実さの問題であると同時に、担当者を守るための実務でもあります。
最後の一手:担当者が答えられない質問を、社内に持ち込ませない
稟議で止まる最後の関門は、決裁者からの質問に担当者が答えられないことです。一つ答えられないと、その場で「じゃあ次回に」となり、案件は1か月止まります。
だから提案の場では、質問を歓迎するのではなく、質問しやすい状態を意図的に作りにいきます。私は方針報告の冒頭で、必ずこう伝えます。
「システム開発は、我々のような専門家でない限り、正直なところ得体の知れないものだと思います。多額の投資をしていただくのに、不安な状態のまま次のステップに進んでいただきたくありません。今日は『こんなことを聞いたら失礼かな』は全部抜きにして、投資に値するかどうかを判断するための質問を、たくさんいただけたらと思います」
これは礼儀として言っているのではありません。その場で出なかった質問は、決裁の場で担当者に向かって飛ぶからです。こちらが答えられる場所で全部出し切ってもらったほうが、圧倒的に安全です。
もう一つ効くのが、動くものを見せることです。私はよく、提案の段階で簡単な試作画面を作って持ち込みます。書類だけで説明していたときは反応の薄かった機能が、画面を触りながら説明した瞬間に「これはいいですね」に変わることが何度もありました。
このとき起きているのは、単に理解が進んだということではありません。担当者が、社内で使える説明の言葉を手に入れているのです。「AIで書類の矛盾を検出します」では役員に伝わらなくても、「この画面でボタンを押すと、日付の食い違いがここに出ます」なら伝わります。提案書に載せる図やスクリーンショットは、こちらの説明のためではなく、担当者が社内で指差せるものとして選んでください。
提案書の評価者は、あなたが会ったことのない人
次に提案書を出す前に、この5つを確認してみてください。
社内稟議を通すための提案書チェック
- 1決裁者が誰で、いつ決裁の場が開かれるかを聞いているか
- 2相手の予算サイクルに間に合う時期に、金額の情報を渡せているか
- 3担当者が社内で使う「1枚」を、こちらで用意したか
- 4費用対効果に、顧客自身の言葉と数字が入っているか
- 5「これで上から下まで話せますか」と本人に確認したか
予算に収まらないことが分かったときも、値引きで解こうとしないでください。私はまず、削らないフルボリュームの見積もりを作ります。その上で、機能を分割して段階的にリリースする、優先度の低い機能を次期に回す、といった順番の選択肢を用意します。値引きは提案の価値を下げますが、順番の組み替えは提案の価値を保ったまま予算に収まります。
削る判断の基準は、いつも一つです。その機能は、この提案の目的に効くのか。品質向上が目的のプロジェクトで、効率化にしか効かない機能は、どれだけ格好良くても次のフェーズに回します。目的に立ち返って削った提案は、担当者が社内で説明しやすい形になっています。「なぜこれを今やるのか」に一言で答えられるからです。
そもそも、ここまで踏み込んだ提案ができるかどうかは、ヒアリングの段階で決まっています(「特にご要望はありません」と言われて終わる商談——顧客の課題を聞き出す提案ヒアリングのコツ)。そして稟議の材料を渡せないまま比較の土俵に乗ると、残る比較軸は価格だけになります(「他社さんはもっと安い」と言われたら——価格勝負から抜け出す“透明な見積もり”の出し方)。私が決裁者への提案にこだわる理由も、結局はここに行き着きます(なぜ「提案力が高い」と言われるのか——決裁者に刺さる提案をつくる3つの理由)。
提案書を評価するのは、あなたが一度も会ったことのない人です。その人に届く唯一の経路は、目の前の担当者の口。提案書は、その人が話すための台本だと考えてみてください。作るものが変われば、止まっていた案件は動き始めます。